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アイテム
後期ヤスパース哲学における「包括者論」の倫理的・実践的意義―「存在意識の変革」との連関において―
http://hdl.handle.net/11078/116
http://hdl.handle.net/11078/116a7fed591-bcfe-42ec-891b-9dc5169da26c
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||
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公開日 | 2014-05-08 | |||||||
タイトル | ||||||||
タイトル | 後期ヤスパース哲学における「包括者論」の倫理的・実践的意義―「存在意識の変革」との連関において― | |||||||
言語 | ja | |||||||
言語 | ||||||||
言語 | jpn | |||||||
キーワード | ||||||||
主題 | ヤスパース | |||||||
キーワード | ||||||||
主題 | 包括者 | |||||||
キーワード | ||||||||
主題 | 包括者論 | |||||||
キーワード | ||||||||
主題 | 存在意識の変革 | |||||||
キーワード | ||||||||
主題 | 本来的現実性 | |||||||
資源タイプ | ||||||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||
英訳タイトル | ||||||||
その他のタイトル | Ethische und praktische Bedeutung der "Periechontologie“ bei Spät-Jaspers: Im Zusammenhang mit der "Verwandlung des Seinsbewusstseins“ | |||||||
著者 |
中山, 剛史
× 中山, 剛史
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抄録 | ||||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||||
内容記述 | 後期ヤスパース哲学では,「理性」や「包括者」を中心とする新たな思想的「展開」が生じた。 本稿では,後期ヤスパースにおける「包括者」とは何かを明らかにした上で,包括者論がどの ような倫理的・実践的意義をもっていたのかを究明する。「包括者」とは,究極的には①〈主 観―客観―分裂〉を超え包む一なる「存在そのもの」にほかならないが,〈主観―客観―分裂〉 の中にあるわれわれは,むしろ②多層的な「包括者の諸様態」の諸空間のうちに自らを見出さ ざるをえない。「包括者の諸様態」とは,存在と人間存在の多層的で多次元的な諸空間もしく は超越論的な〈場所〉と解釈しうるが,ここで重要なのは,われわれ自身のあり方によって, 存在の現われ方が違ってくるという点である。「超在」の暗号を聴きとることができるためには,私自身が「実存」というあり方に転換されなければならない。筆者は,こうした「包括者論」 の倫理的・実践的意義を,①〈広さ〉への変革と②〈深さ〉への変革という二つの「存在意識 の変革」という視点から解釈する。 |
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書誌情報 |
論叢:玉川大学文学部紀要 巻 2013, 号 54, p. 137-166, 発行日 2014-03-31 |
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ISSN | ||||||||
収録物識別子タイプ | ISSN | |||||||
収録物識別子 | 0286-8903 | |||||||
著者版フラグ | ||||||||
出版者 | ||||||||
出版者 | 玉川大学 | |||||||
言語 | ja |